日本代表監督として名前の上がっているユルゲン・クリンスマンさん。
ユルゲン・クリンスマンさんは若い頃ドイツで活躍したサッカー選手で、その後ドイツ代表やアメリカ代表の監督経験があるそうです。
ロシアワールドカップで日本がベスト16まで進むも、ベルギー戦で惜しい敗戦をした直後だというのに、もう次期監督の話が出ているんですね。
準備が早いなという気もしますが、もう少し西野監督へお疲れ様という思いがあっても良いのではと思うのですが、代表監督マーケットのようなものがあって、ワールドカップ終わってからのんびり探していると良い監督というのが獲得しにくいというのがあるのかもしれませんね。
一体どんな監督なのか気になるので調べてみました。
早速行ってみましょう。
目次(コンテンツ)↓↓
- ユルゲン・クリンスマンのプロフィール
- 代表監督経験
- 現役時代はロン毛のイケメン
- 息子はゴールキーパー
- 最後に
ユルゲン・クリンスマンのプロフィール
出典:https://www.si.com/soccer/photos/2011/08/01best-of-jurgen-klinsmann
国籍 ドイツ アメリカ合衆国
生年月日 1964年7月30日(53歳)
出身地 ドイツ・ゲッピンゲン
身長 182cm
体重 73kg
ユルゲン・クリンスマンさんのプロフィールで気になるのは、アメリカの国籍も取得していることです。
現在のお住まいもカルフォルニアだそうです。
2011年から2016年までアメリカ代表監督を勤めていますので、そのときにグリーンカードと呼ばれるアメリカの国籍を取得したのかもしれませんね。
結婚されて、子供もいるのですが、子供もアメリカの大学を卒業しているということです。
この話は後半でまたお伝えしたいと思います。
ユルゲン・クリンスマンさんが活躍された頃は、まだドイツが西と東に分かれていました。
ユルゲン・クリンスマンさんは西ドイツのゲッピンゲンの生まれで、パン屋さんの子供として生まれました。
質素な生活を好む方だそうで、現役時代も高額な年俸をもらっても貯蓄をし、中古車に乗る生活だったそうです。
現役のプロサッカー選手としては以下のキャリアとなっています。
1981-1984 シュトゥットガルター・キッカーズ(ドイツ)
1984-1989 シュトゥットガルト(ドイツ)
1989-1992 インテル(イタリア)
1992-1994 モナコ(モナコ)
1994-1995 トッテナム(イングランド)
1995-1997 バイエルン・ミュンヘン(ドイツ)
1997-1998 サンプドリア(イタリア)
1997-1998 トッテナム(イングランド)*シーズン途中で移籍
1998年、34歳でプロサッカー選手を引退しています。
その後、アメリカのアマチュアクラブで2003年までサッカーを続けていたそうです。
このときすでにアメリカの南カルフォルニアに住居を移していたのかもしれませんね。
ドイツ代表選手として長くキャプテンも勤めていたそうです。
1987年〜1990年は西ドイツの代表として活躍し、1990年〜1998年はドイツ代表となります。
当時はドイツは西と東に分かれていましたが、統合されたあとも代表選手として活躍されいたのですね。
代表監督経験
ユルゲン・クリンスマンさんの監督としてのキャリアや手腕はどうなのでしょう?
過去に監督として活躍したのは以下となります。
・ドイツ代表監督(2004年7月26日〜2006年7月11日)
・バイエルン・ミュンヘン監督(2008年7月1日〜2009年4月27日)
・アメリカ代表監督(2011年7月29日〜2016年11月21日)
意外と少ない?ような気がしますよね。
現役を引退した翌年からドイツの代表監督を勤めたことになります。
このときわずか40歳です。
ちなみに西野朗監督は63歳。
岡田武史さんが日本代表監督に就任したときは52歳。
そう考えると、40歳で代表監督というのは相当若いような気がしますよね。
全く関係ないですが、キングカズ、三浦知良選手は今年51歳です。
ドイツ代表監督時代は母国で開催されたワールドカップ・ドイツ大会に向けての監督として就任したのですが、結果どうなったかというと、優勝こそのごしますが、堂々の3位という結果に終わります。
通算成績は34試合20勝8分6負です。
勝率は58.8%。
34試合して6回しか負けていないんですね。
バイエルン・ミュンヘン時代は44試合25勝9分10負の勝率56.8%。
アメリカ代表時代は、98試合55勝16分27負の勝率56.1%。
アメリカ代表監督時代は2014年のワールドカップ・ブラジル大会出場を決め、グループリーグを突破し、ベスト16に進出しています。