7月21日に放送された「SexyZoneのたった3日間で人生は変わるのか!?」で、中島健人さんがバレエにチャレンジしたのですが、そのバレエの講師をしていた宮尾俊太郎さんが面白くてかっこいいと評判になっています。
また番組自体も中島健人さんの努力でたったの3日間でかなりのバレエを見せることが出来、大評判だったようです。
もともとファンの多い中島健人さんですが、バレエシーンが相当かっこよかったことから、今後も第2弾あるんじゃないかとファンの間では期待感が高ぶっているようです。
今回は講師の宮尾俊太郎さんと中島健人さんの絡み(動画あり)や宮尾俊太郎さんの経歴や結婚の話題、彼女との面白いエピソードに迫ってみます。
早速行ってみましょう。
目次(コンテンツ)↓↓
- 宮尾俊太郎と中島健人のダブル王子が評判に
- 宮尾俊太郎さんのプロフィール
- 宮尾俊太郎さんは結婚している?
- 最後に
宮尾俊太郎と中島健人のダブル王子が評判に
7月21日に放送された「SexyZoneのたった3日間で人生は変わるのか!?」で、中島健人さんが3日間でバレエをものにできるのかというお題で練習から本番までの様子が公開されました。
独特の身のこなしが必要となるバレエ。
普段ダンスなどで鍛えているとはいえ、中島健人さんはどこまで頑張れるのか。
そしてその中島健人さんにバレエを教える講師が宮尾俊太郎さんです。
宮尾俊太郎さんはルックス抜群。
かっこよくて高身長。
ついたあだ名が「バレエ王子」ですよ。
そんなバレエ王子がSexyZoneの王子である中島健人さんにバレエ指導するということで、女性ファンはたまらない番組になったでしょうね。
宮尾さん×ケンティおかわりしたい。王子と弟子の関係美しいし一人っ子ケンティに出来たお兄ちゃんみたいやしケンティこれからもバレエ続けてほしい。
— ビートル (@cynical108) 2018年7月1日
バレエの衣装って結構体にピタッとする衣装なので、男性の衣装もちょっとセクシーですよね。
それ目当てで集まった女性ファンをキャーキャー言わせる出来事がまた発生したのです。
バレエ練習時に宮尾俊太郎さんが中島健人さんに対して「ポジションは常に12時」という指導をおこなったのです。
ポジション?どういうこと?
という方にわかりやすく説明すると。
「バレエを踊る時の、タイツの下の男性のアレの向き、位置は常に12時方向に固定されていないと駄目」
ということなんだそうです(笑)
これをテレビで流すのかwwwという感じなのですが、バレエ王子とも言われるイケメンダンサーの宮尾俊太郎さんが大真面目な顔で中島健人さんにポジションがずれているよとアドバイス。
え、なんのポジション?
あ、あれのこと?6時じゃなくて?
恥ずかしそうにカメラに背中を向けて自分のポジションをチェックする中島健人さん。
ケンティーの王子が6時→12時になるw
ケンティーのポジションがずれてました…
#SexyZoneのたった3日間で人生は変わるのか#Sexy冠 #中島健人 pic.twitter.com/tVE1GPMn36
— 健人♡セバス (@amethystvanilla) 2018年7月1日
王子の王子を12時にセットする様子を背中から感じた女性ファンはもうたまらなかった様子です。
バレエ練習着に着替えて最初に言われたのチンポジの位置なの最高だったよ…テレビでSexyZoneのポジションを直すのを映される王子最高かな pic.twitter.com/ZLzbsQMk0x
— オランジーナありこ💘 (@arinkoccoo) 2018年7月1日
宮尾俊太郎さんのプロフィール
出典:https://www.instagram.com/shuntaro_miyao
愛称:バレエ王子
生年月日:1984年2月27日
年齢:34歳
出身地:北海道札幌市
血液型:O型
身長:184cm
体重:73kg
職業:バレエダンサー
事務所:Kバレエカンパニー
現在、Kバレエカンパニーというところに所属していますが、これはバレエダンサーとして有名な熊谷哲也さんの事務所です。
実は宮尾俊太郎さんはこの熊谷哲也さんに憧れてバレエを始めたそうです。
そして現在、その憧れの熊谷哲也さんと一緒に仕事ができている、認められているというのはすごいことですよね。
バレエを始めたのは14歳。
17歳でフランスにバレエ留学。
そのまま海外で活躍する人も多いですが、宮尾俊太郎さんは日本に帰国。
そしてその後、2004年にKバレエカンパニーに入団することになります。
20歳のときということですね。
熊谷哲也さんに憧れた14歳、6年間ひたすらバレエの腕を磨いて、20歳のときに念願が叶ったわけです。
努力がしっかりできる人なのだろうなと思います。
その頃の年令って一番遊びたい年頃ですよね。
Kバレエカンパニーに入団後も努力を続けたのだと思いますが、順調に活躍をしていきます。
2007年にはソリストとして認められて、2015年には最上位ランクであるプリンシパルという地位につくことになります。