兼高かおるさんが心不全のためお亡くなりになりました。
90歳だったそうですが、若い方にはそもそも兼高かおるさんがどんな人なのかわからないですよね。

兼高かおるさんは1959年から「兼高かおるの世界の旅」という番組のレポーターとして大人気だったフリージャーナリストなんです。
当時はまだ気軽に海外旅行にいけるような時代じゃなかったですし、インターネットもなく、世界の国々がどういうところかをテレビを通してしか知ることができなかったんです。

そのためこの番組は相当人気だったそうですよ。

そして実際に世界中の国を旅して紹介していて案内役の兼高かおるさんがとても美人だったというのもあって、兼高かおるさん自身の人気もすごかったんですよね。若い頃の兼高かおるさん、相当美人です。

若い頃の兼高かおるさんの写真やエピソードを集めてみました。

 

早速行ってみましょう。

兼高かおるのプロフィール


本名 兼高ローズ
誕生日 1928年2月29日
出身地 兵庫県神戸市

実は兼高かおるさんはハーフなんですね。
それで本名が兼高ローズといいます。

お父さんがインド人でお母さんが日本人です。

インドの人って美人が多いですからね。
兼高かおるさんが美人なのがわかる気がしますよね。

そして兼高かおるさん、大学を出ています。

この当時女性で大学を出ているというだけでも珍しいですが、なんと

ロサンゼルス市立大学

を卒業しているんです。

何度もいいますが、当時女性が大学に進学するなんていうのはとてもめずらしい時代です。

終戦が1945年です。
兼高かおるさんがロサンゼルス市立大学に留学したのが1954年。

戦後まだ9年ほどしか立っていないときです。

このとき為替は固定相場制だったし、まだ沖縄も日本に返還されていない。
そんな時代ですよ。

当時は大学卒の初任給がまだ9000円とかだったそうです。

兼高かおるさんはロサンゼルス市立大学で日夜猛勉強をします。
いまの留学の感覚とは異なり、気軽に海外も行けないような時代ですから、そのチャンスを活かそうと頑張ったのでしょうね。

でも頑張りすぎて体調を崩してしまい、2年ほどで帰国されます。

その後、海外から訪問する外国人のインタビュアーとして活躍をされます。

世界早周り記録

兼高かおるさんはなんでも世界早周り大会の優勝者で73時間9分35秒の記録を持っているそうです。

世界早周りってなんだそれは?という感じですが、おそらく世界一周なんでしょうね。

当時スカンジナビア航空が東京からコペンハーゲンまでの新ルートを開設したことで、世界一周早周りという競争を開催したんだそうです。

その大会に兼高かおるさんはチャレンジします。
どういうルールなのかは定かではないのですが、それで優勝したんだそうです。

プロペラ機を使って世界一周したんだということですが、兼高かおるさん、冒険心が強いというかチャレンジスピリットの塊のような人だったようですね。

兼高かおるの世界の旅

そして1959年から兼高かおるさんがレポーターとなり、世界中を旅行して紹介して回る兼高かおるの世界の旅が始まります。

第1回目はローマだったそうですが、成田から香港を経由してローマにいくのに52時間かかったそうです。

その後1990年までその番組は続くことになります。

訪れた国はトータルで150カ国以上、地球を180周分だそうですよ。

驚きですね。

様々な国に行き、様々な人に出会っていますが、たとえば、有名な芸術家のサルバトーレ・ダリにも会っています。


出典:https://mr-moai.tumblr.com/

サルバトーレ・ダリに会ったことがある日本人ってどれだけいるんでしょうね。
すごいですね。

そしてこちら誰だかわかりますかね?


出典:https://mr-moai.tumblr.com/

ケネディ元大統領ですよ。
あの暗殺された大統領として有名なケネディ元大統領です。

ケネディ元大統領とも直接お会いしているなんて、本当に貴重な一枚ですが、当時は大統領と一般人がお会いするということなんてほとんどなかったと思いますので兼高かおるさんが直接交渉したんでしょうか?やはりチャレンジスピリットの塊のような人ですね。

南極点にも女性として初めて到達

そして兼高かおるさんですが、南極点に世界で初めて立った女性でもあるんです。

1971年に他の女性と一緒に南極点に同時に立ったそうですよ。

南極はそのとき行っていた他の国とは想像も超えるような場所だったとのちのインタビューで語っていました。


出典:http://archives.bs-asahi.co.jp/nankyoku/prg_118.html

1971年というと兼高かおるさんは当時43歳。
この美貌!!とても43歳には見えないです。

ちょっと長谷川京子さんに似ているような気がしますね。
そしてカラーテレビがではじめたのもこの頃です。カラーの兼高かおるさんにようやくお目にかかれましたが、やっぱり美人ですね。

このときの南極への取材は米軍が全力バックアップだったそうです。
そのため装備などはすべて米軍から借りたそうです。

ちなみにこれも兼高かおる世界の旅での企画だったそうですよ。
米軍との交渉とかも自分でやってしまっていたんでしょうかね?当時それほど英語が喋れる人もいなかったと思うと、それもありそうな話ですね。

ちなみに北極点にも行っているんですね。
こちらは、1989年4月に到達だそうです。

しかし本当に世界のありとあらゆる場所に行っているんですね。

しかも兼高かおるの世界の旅では、レポーター、ナレーター、ディレクター、プロデューサーをすべて兼高かおるさんが一人でこなしていたそうです。
今で言う世界ふしぎ発見を一人ですべて回していたということですよね。

なんともすごいバイタリティの持ち主だし、本当に体当たりでなんでもやってきたんでしょうね。
当時はまだ女性の社会的な活動自体がそれほどなかった時代ですからね。

南極点に行くときも当初は1969年に申請したそうですが、女性はNGということで一旦は南極への渡航が許可されなかったそうですよ。
1971年になってようやく許可がおりたそうです。

そんな時代に番組の構成から企画から現地でのコーディネートからすべて自分でやっていたわけですから、すごいなぁというしかありません。

若い頃の写真が美人すぎる

若い頃の兼高かおるさんの写真をみると、本当に美人だったんだなぁとわかりますよね。

インド人とのハーフということで、彫りが深くて、目が大きい、オードリー・ヘップバーンにちょっと似ているような気もしますね。


出典:https://mr-moai.tumblr.com/

こちらの写真なんかを見ると、スタイルも抜群だったのではないかと思います。


出典:https://mr-moai.tumblr.com/

これはどこかの国の民族衣装を着ているんでしょうか?
モデルや女優のような雰囲気ですね。

髪の毛は天然パーマなのでしょうか?少しくせっ毛っぽい感じがしますが、それがまた相当チャーミングですね。

最後に

これだけの美貌の持ち主だった兼高かおるさんですが、兼高かおるさんは生涯独身だったそうです。

きっと多くの男性から声をかけられたんじゃないかと思うのですが、ロマンスはなかったのですかね?
過去に結婚について質問されたことがあるそうですが、そのときには「結婚することがわからない」というコメントをされていたそうです。

そもそも1990年までレポーター、ナレーター、ディレクター、プロデューサーをすべて兼高かおるさんが一人でこなしていたと考えると、あまりに忙しくて、結婚どころじゃなかったと言えなくもないかもしれませんね。

そして、残念ながら90歳でこの世を去ってしまった兼高かおるさん。
世界中を旅して回ることで、海外旅行もインターネットも普通になかった時代に、人々に多くの夢や憧れを抱かせてくれたその生涯。

素敵な人生だったんじゃないでしょうかね。

ご冥福をお祈りしたいと思います。

 
最後までご覧いただき本当にありがとうございました。

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