格闘家の山本KID徳郁さんが41歳という若さで亡くなりました。
あまりの突然の訃報に言葉がありません。
PRIDEやK-1といった格闘技界が盛り上がった時期に現れたスター選手だった山本KID徳郁さん。
K-1の軽量級で魔裟斗選手と繰り広げた死闘は伝説的な試合だと評判です。
若すぎる逝去、山本KID徳郁さんの死因は一体なんだったのでしょう?
惜しまれる若き天才の格闘技人生とともにご紹介したいです。
早速行ってみましょう。
山本KID徳郁のプロフィール
名前 山本KID徳郁(やまもと・きっど・のりふみ)
生年月日 1977年3月15日
出身地 神奈川県川崎市
身長 163cm
体重 61kg
リーチ 168cm
血液型 B型
・生涯戦績
総合格闘技
18勝6敗2無効試合
キックボクシング
1勝3敗
・獲得タイトル
レスリング
1998年・全日本レスリング学生選手権フリースタイル58kg級 優勝
1998年・内閣総理大臣杯全日本大学レスリング選手権大会 準優勝
1999年・全日本学生レスリング選手権大会フリースタイル58kg級 優勝
1999年・全日本レスリング学生選手権フリースタイル58kg級 優勝
1999年・内閣総理大臣杯全日本大学レスリング選手権大会 優勝(最優秀選手賞)
総合格闘技
第7回全日本アマチュア修斗選手権 ライト級 優勝(2000年)
HERO’S 2005 ミドル級世界最強王者決定トーナメント 優勝(2005年)
父親がミュンヘンオリンピックレスリング・グレコローマン日本代表だった山本郁榮。
そのため幼少期からレスリングにのめり込む。
姉・美憂、妹・聖子はレスリング世界選手権で金メダルを獲得するほどの実力の持ち主。
高校時代はアメリカに留学をしていました。
そして、アリゾナ州のチャンピオンに3回もなっています。
そして日本に帰国して山梨学院大学に進学します。
大学時代も全日本学生レスリング選手権大会(フリースタイル58kg級)で優勝するなど活躍をします。
しかしながら、1999年の全日本レスリング選手権大会(同級)の決勝戦で敗れ、シドニーオリンピックの出場を逃します。
そのころから総合格闘技への転向をすることに。
姉の美憂さんの夫が総合格闘技選手のエンセン井上選手。
エンセン井上選手はPRIDEなどのリングにもあがるほどの選手です。
そのエンセン井上選手に総合格闘技を教わったそうです。
そして2000年に第7回全日本アマチュア修斗選手権大会ライト級(-65kg)で優勝し、翌2001年にプロデビューし修斗で世界ライト級ランク2位に。
K-1での活躍
2004年からK-1に本格参戦をした山本KID徳郁さん。
当時は魔裟斗選手を始め、スター選手が軽量級に揃い、日本、世界で軽量級のスピーディな試合にファンが急増していました。
そのK-1の世界に総合格闘技の選手として挑んだのが
「K-1 WORLD MAX 2004 〜日本代表決定トーナメント〜」
です。
この大会はトーナメントのため負ければ終わり。そのトーナメントでは
初戦 vs 村浜武洋 2回KO勝ち
を納めます。
しかし試合で右手第二中指骨を骨折し、棄権。
ただし強烈な印象をファンの中に残しました。
その後、魔裟斗選手との因縁が勃発するのがその年の大晦日の
K-1 PREMIUM 2004 Dynamite!!
です。
こちらは
3R終了 判定0-3 判定負け
でした。しかしながら、1回に魔裟斗選手からダウンを奪っています。
これはKIDがこのまま勢いに任せてKO勝ちあるんじゃないかなと思った次の瞬間、魔裟斗選手のローキックがKIDの股間にのめり込みます。
その後、回復をまって試合は再開されますが、明らかにダメージが残るKID選手は判定負けとなってしまいました。
この金的への攻撃は故意だったんじゃないかとファンの間では議論になり、ここに魔裟斗選手との因縁が生まれることになりました。
こちらがその試合の動画です。
そして、その後HERO’Sという総合格闘技の大会に参戦します。
2005年に行われたミドル級の世界王者を決めるトーナメントではあのグレイシー一族とも対戦して見事な勝利を納めています。
またミドル級の伝説とも言える宇野薫選手、須藤元気選手を撃破し見事優勝を飾っているんです。
・決勝戦
須藤元気 1R 4:39 KO(右フック→パウンド)2005年12月31日
・準決勝
宇野薫 2R 4:04 TKO(ドクターストップ:左眉尻カット)2005年9月7日
・初戦
ホイラー・グレイシー 2R 0:38 KO(右フック)2005年9月7日
須藤元気選手との試合はこちらです。
HERO’Sでは総合格闘技ということもあり、K-1参戦時よりKID選手の圧倒的な強さと怖さを感じることができる試合が多かったと思います。
最も印象に残るのは宮田和幸選手との一戦ではないでしょうか?
開始わずか4秒でKO勝利をおさめます。
相手はKID選手が逃したシドニーオリンピックの日本代表選手だった宮田和幸選手。KID選手としても特別な思い入れがあったのかもしれません。
開始とともに飛び出した飛び膝蹴りで宮田和幸選手の顎を粉砕し失神KOとなります。
この試合のあとのインタビューをいまでも覚えているファンは多いのではないでしょうか?
「ヤバイ、かっこ良すぎる、俺」
とちょっと照れたようにコメントするKID選手にファンがかっこよさとともに恐怖を感じた瞬間のような気がします。
魔裟斗選手との再戦
その後、DREAMという大会に参戦したり、本場アメリカの総合格闘技UFCに参戦をするなどしますが、戦績はぱっとしていないです。
怪我が多くなってきたというのももしかするとKID選手の成績に影響を与えたかも知れません。
大きな怪我としては
2007年左手首の骨折
2008年練習中に右膝前十字靭帯を断裂
2014年肋骨骨折し肺に刺さる
2014年ごろ頚椎ヘルニア
を経験しています。
頚椎ヘルニアは相当辛かったようで、握力も8kgくらいに低下するなどし、死んだほうがましなんじゃないかと本気で考えたときもあったそうです。
その後、その頚椎ヘルニアを乗り越え、2015年12月31日に魔裟斗選手と11年ぶりに再戦をすることになります。
この試合は、東日本大震災チャリティーイベントとして行われました。
『NIPPONFIGHT』という大会でしたが、結果は2ラウンド目に左フックでダウンを奪われ0-3の判定で敗れています。
がん闘病生活と死因は?
2015年以降は試合を行うことがありませんでしたが、KRAZY BEEという総合格闘技のジムを経営して、後進の育成などを近年ではされていました。
しかしながら2018年8月26日に自身のインスタグラムでがん闘病中であることを告白します。
このときどのようながんであるかということは語られませんでしたが、
「絶対元気になって、帰ってきたいと強く思っていますので温かいサポートをよろしくお願いします!」
と誓っていました。
それから1ヶ月も立たずの本日9月18日、自身が主宰する「KRAZY BEE」の公式ツイッターで訃報が報告されました。
「山本KID徳郁を応援して下さった皆様
山本KID徳郁(享年41歳6ヶ月)が、本日9月18日に逝去致しました。
生前に応援、ご支援をして頂きました関係各位、ファンの皆様に本人に変わり御礼申しげます」
こちらでも具体的な病状や闘病生活、直接的な死因については語られていません。
その後の報道で、2年前から胃がんを患っていたということがわかってきました。
2年前から闘病生活を送っていたそうです。
8月26日にインスタグラムでがんの闘病生活を告白したときには、すでにがんはステージ4、他の場所にも転移があり末期の状態だったそうです。
山本KID徳郁の死因は胃がん。2年間の闘病、告白時はステージ4で他にも転移、スキルス胃がんか?
最後に
山本KID徳郁さんがわずか41歳で亡くなられたというニュースに格闘技ファンとしては寂しい思いでいっぱいです。
2000年代はじめに軽量級、ミドル級で盛り上がった格闘技界で間違いなくスター選手のひとりだったKID選手。
圧倒的な強さと、恐怖を感じさせるような凶暴性にまるで漫画の世界から飛び出してきたんじゃないかと思うような選手だったと思います。
プライベートでは、2004年にモデルのMALIAさんと結婚し、1男1女の子供も産まれていますがその後2009年に離婚。
2014年11月に一般の女性との間に女児が産まれたことも発表されています。
山本KID徳郁さんの格闘技の遺伝子はこの3人の子供に残されたということを楽しみにしつつ、故人のご冥福をお祈りしたいと思います。
最後までご覧いただき本当にありがとうございました。
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