水曜日放送の「THE世界仰天ニュース」に松山ホステス殺害事件の犯人で
15年もの間逃亡生活を送っていた福田和子氏が特集されます。
当時、全国に指名手配がかけられその都度整形を繰り返し
壮絶な人生を歩んできたことはあまりにも有名ですが、
その事件への動機や懸賞金なども異例中の異例だったそうですね。
今回はそんな福田和子氏の壮絶人生から子供である息子の
今現在などに迫ってみたいと思います。
それでは今回もさっそくピックアップして行きましょう!
目次(コンテンツ)↓↓
1、福田和子のプロフィールと経歴 ページ1
2、松山ホステス殺害事件と動機とは!? ページ1
3、息子の今現在は!? ページ2
4、福田氏が働いていた和菓子屋はどこ!? ページ2
5、懸賞金や裁判がハンパない! ページ2
6、最後に ページ2
福田和子のプロフィールと経歴
- 本名 福田和子(ふくだ かずこ)
- 生まれ 1948年1月2日
- 出身 愛媛県
子供の頃にすでに両親が離婚してしまい、親権が母親に引き取られた
福田氏は住居を愛媛県川之江市に移り母親に育てられます。
その後母親は、漁師と再婚を果たすが地元の風潮にどうしてもなじむこと
ができず福田氏とともに今治市に移り住むことになります。
福田氏が高校入学と同時に当時交際していた男性が事故死に
会うと言う信じられないことが起き、これにより
福田氏は半ノイローゼ気味になり、高校3年生で退学してしまいます。
これがきっかけで、精神状態が不安定になった福田氏は
最初の犯罪として、18歳の時に交際していた男性と高松市の
国税局長の自宅に侵入し強盗をはかり逮捕され、
松山刑務所に服役する。
ただ、この刑務所内で女性受刑者を狙った強姦事件が発生し
福田氏はこの事件の被害者になったのだが、被害届すら
出すことが認められていなかったため時効によりこの事件は
解決していますね。
その後出所した福田氏は、松山市内のキャバレーでホステス
として働きはじめるが・・・
松山ホステス殺害事件と動機とは!?
1982年に松山市のホステスが同僚のホステスに殺害される
と言う悪質な事件が発生します。
殺害されたホステスはお店のナンバーワンだったそうで、
その人気はほかのホステスたちを圧倒するほどだったそうで、
福田氏の客も自然とそのナンバーワンホステスに取られて
行ったそうです。
それに嫉妬した福田氏が殺害を計画し、実行したと言う
説が多く首を閉めたあとは愛媛県内の山中に夫と共に
遺棄しました。
ちなみに、この夫も死体遺棄の容疑でのちに逮捕されて
いますね。
その後は15年間もの逃亡生活の始まりだとして、
いくどの整形や職を転々としながら、いつに間にか
「7つの顔を持つ女」
とも呼ばれるようになり、全国のキャバレーに努めながら
逃亡生活を繰り返していたそうですね。
逃亡生活は、5459日と言われておりこれまで捕まらなかった
事自体不思議なんですが時効に迫った21日前に福井県内で
逮捕されました。
福田氏は松山市から大阪、石川県や名古屋へと逃亡を図り
資金は当時60万円ほどしか所持していなく、すぐに石川県金沢市の
スナックに就職し整形をしたとされています。
そのスナックで知り合った和菓子店の店主と交際を始め
内縁の妻として関係を持ち、店を切り盛りするようになった
そうです。
元々、ホステスとしての経験があった福田氏の接客は
瞬く間に地元の常連客などから気に入られ和菓子屋の売り上げ
が急激に伸びたことからますます店主にも気に入られ、
この頃から自分の息子や親戚たちを呼び一緒に働いて
いたそうですね。
そして逃亡生活も3年が過ぎようとしていた頃、警察が
全国に指名手配書を作成し、捜査の手が段々と福田氏の近く
まで及ぼうとしていた時に和菓子屋の店主や家族も福田氏の
行動や素性に疑いはじめ、警察に通報したが
それに気づいた福田氏は足早に逃走を図り、今度は名古屋へと
行き付きます。
そして「ナカムラユキコ」と偽名を使い名古屋でもホテルや
飲食店などで働きながら生活しており
1988年に名古屋から福井県に移動し原点であるホステスと
て住み込みで働き始めます。
時効まであとわずかと言う所で、福田氏が行き付けていた
福井市内のおでん屋で常連客に怪しまれながらも
「福田和子に似ているとよく言われる」と周囲に漏らしていた
そうで、常連客の一人がひそかに福田氏が飲んだ指紋が付いた
ビール瓶を持ち出し調べたところ、指紋と一致したため
この店を出たところ捜査員に囲まれ逮捕されたそうです。
実に時効まで、21日しかなかった劇的な逮捕となり
1982年の事件発生から15年間ものの間逃亡生活を送っていた
壮絶な追跡がここで幕を下したと言う日本の過去の事件を
見ても類を見ないとんでもない事件だったことは言うまでも
ありません。
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