バグダッド日誌(6月18日)

こちらはバグダッドでの友情の話です。
お前めっちゃいいやつじゃんっていう話です。

バグダッド日誌(6月18日)
・コアリション副部長●●● ファアウエル・パーティー
昨日コアリション・オペレーション部副部長●●●のフェアウエル・パーティーが実施された。

●●●は多変な親日・知日家で時計はセイコー、ジョギング・シューズはミズノ、アメリカの自宅の乗用車はトヨタ、ボートのエン ジンはヤマハ等々とにかく日本の製品を愛している。

好きなのは日本製品ばかりではない。

横田で勤務したことがあり、日本人の礼儀正しさや元帳面さから「日本」を大変信用してくれている。
他のコアリションLOがいない時は「Most favorite coalition country, Japan!」と言って、大佐のオフィスに私を招待し、日本に勤務していた当時の思い出話に花を咲かせていた。

大佐は日米同盟の重要性を強調してくれる心強い理解者である。

●●●は私が調整で困っている時など何度も骨を折ってくれた。

特にバグダッド到着当初に調整が上手くいかなくて意気消沈していた私を心配して、わざわざ日本隊コンテナまで励ましに来てくれたこともあった。

また私が実施した調整に誤解が生じて、コアリション内で大変な思いをしたことがあったが、この時も●●●は、「俺はもう定年 退官を迎える。この誤解の責任は俺がとるから心配するな。」と私を守ってくれる親分肌の頼もしい上司であった。

今思い返しても語り尽くせない思い出が蘇ってくる。

「エイプリル・フール」で騙されたり、オフィス内でアメフト・ボールで キャッチ・ボールをしていてプリンターを壊してしまったのも●●●との良い思い出である。

●●●は、今回の任務が終了後所属部隊のドイツに一旦戻り、その後アメリカに帰国し定年退官を迎えると自分では言っている。(私は是非将官に昇任して勤務を続けて欲しいと思っている。)

「イラク任務終了後もお互いに連絡を取り合い、アメリカ・日本を訪問した際は必ず遊びに行くことを約束した。

私がアメリカを訪問した際は「トヨタのピック・アップ・トラックで海に行き、ヤマハのプレジャー・ボートで釣りをして、寿司を食べよう。」と嬉しいことを言ってくれる。

ここでの付き合いは一生ものだと、つくづく有り難く感じている。

また今回のフェアウエル・パーティーでは、サマーワから送って頂いた記念品を渡すことができ、●●●も大変感動していた。いつもながらサマーワには感謝している。

出典:https://www.asahicom.jp/news/esi/ichikijiatesi/iraq-nippo-list/20180416/370/060618.pdf

バグダッド日誌(6月19日)

私達のしらないバグダッドでの交流の話です。
こんな方法で思いを伝えあうんですね。

バグダッド日誌(6月19日)
・マリキ首相、ムサンナ県治安権限の移譲を発表
●●●がロイターが発表したのをいち早くインターネットで見つけ、報告してくれた。

早速日本コンテナのテレビをBBCに変えたが確認できず、日本時間の夜7時のNHKニュースで初めて確認できた。

バグダッド連絡班一同気を引き締めてニュースを見ながら、今まで以上に気を引き締め、抜かりのないように業務しようと皆で誓い合った。

・コインを眺めながら..
米軍将兵は自分の所属部隊のコインを常に携行し、バーなどの盛り場で挨拶する際には所属部隊のコインをテーブルの上に出して自己紹介代わりにするそうである。

この時にコインを忘れた人は、無粋だとして全ての勘定を支払わされるそうだ。 バグダッドにおいても少なからずコインを貰ったり、渡したりする機会がある。

コインを渡す時には基本的なルールがあり、「親友関係」になった時や「本当にお世話になった時」に初めて渡す。

つまり、初対面の方に挨拶代わりに渡すというのではなく、「親友となり、お前は自分の部隊の同僚と変わらず気が置けない。」または、「お世話になった。お前は俺達の仲間だ。」と認識して渡すものである。

日本からサマーワへ高官が訪問する際、色々な部署にお世話になる。

高官の訪問が滞りなく終わってから、「日本からの高官訪問を、あなたのお陰で無事終了できました。有り難う。」とコインを渡すと、渡された方も「自分の仕事が 役にたった。」と認識して本当に喜んでくれる。

また任務終了を間近に控えたコアリションの親友に「お前は俺の一生 の友人だ!」とコインを渡すと、渡された方も「日本隊の友人」となれたことを誇りに思ってくれる。

これらコインは出国前に業務支援隊1科が準備してくださり、そのお陰で業務が円滑に実施できている。
また9次群、10次群のコインも 追加で送っていただき、お世話になった方々に不義理とならないで居られ、感謝している。

我々バグダッド連絡班も「仕事」、「人間関係」を通じて少なからずコインを貰うことが出来た。

一個一個に思い出があり、コインを眺めながら「今までしてきた仕事」や「友人」の顔を思い出し、また誇りに思うことができる。残された期間、 「コイン」を渡したり、貰ったりできる「友人」をつくり、感謝される「仕事」を引き続き実施していきたい。

出典:https://www.asahicom.jp/news/esi/ichikijiatesi/iraq-nippo-list/20180416/370/060619.pdf

バグダッド日誌(6月23日)

バグダッド日誌(6月23日)
・陸自の活動に感謝するバグダッド・モスキートの声
昨日、インターナショナルゾーンで、多国籍軍情報部が定期的に「街の噂」を収集するモスキート・ミーティングに参加した。

本ミーティング、モスキート編集室の引越し作業があったためしばらく中断しており、今回が久しぶりの再開となっていた。

ミーティングが始まると、いつものようにシーア、スンニ、クルド等様々な“モスキート”たちが街でささやかれている噂を順に報告、その後は、特定のテーマについての意見収集へと移った。
今回のテーマは、先週米軍3名が犠牲となった襲撃事件、ザルカウイの後継者関連、街の治安状況等であった。
これらに関する活発な意見を聞いていると、このところ撤収関連でなんとなく区切りのようなものを感じていた私には、変わることのないバグダッドの厳しい現状を再認識させられることとなった。

さて、ミーティングの最後に多国籍軍参会者からの質問時間となった。
そこで私の方から、多少場違いかと思ったが 「治安権限委譲に伴い陸上自衛隊が撤収するが、2年半に及ぶ活動の評価について聞きたい」とストレートに投げかけた。

すると、これまで3時間に亘るミーティングで多少疲れ気味であった彼らが、堰を切ったように一斉に大声で意見を述べ始めた。

その勢いは大変なもので、一斉に話すことから何やら聞き取れない。
チーフもたまらず“1人ずつにしてくれ!”と叫ぶほどである。

よく聞くと「日本は良くやってくれている」「莫大な資金を投じて大きな発電所を作ってくれたと聞いている」「戦争に来たのではなく、技術者が沢山来てくれていると聞いている」等々。
そして全員が口々に陸自の活動に感謝の言葉を述べている。

ようやく、場が落ち着いたところで、1人の女性が締めくくるように「私達は本当に深く感謝しています。イラクの国民は全員、日本人が大好きです」と意見を述べてくれた。

私は、イラクの各層の人々全員からポジティブな意見を、直接聴くことができ、胸を熱くするとともに、サマーワから遠く離れたバグダッドの片隅で、これまで一隅を照らす思いで勤務してきたことが報われた気がした。

ミーティングが終了し、帰路につく彼らを見送っていると、一人の男性が「日本にはもっともっと長くいてほしい」と声をかけてきた。

「陸自による活動は終了するが、日本はこれからも引き続き様々な支援を行っていく」と伝えると、とても喜んでくれていた。
こうして、モスキートたちは再び自分達の街へと帰っていった。

今頃、バグダッドの街角では「日本は引き続き支援してくれるそうだ」との噂が、モスキート達の口からロへと噂されていることと思う。

出典:https://www.asahicom.jp/news/esi/ichikijiatesi/iraq-nippo-list/20180416/370/060624.pdf

日本の活動、いや日本の自衛隊の活動がイラクの国民に評価されていたんだなということがわかって、なんかうれしいですね。

この派遣に関しては、賛否両論が多かったと思いますが、こうして困っている人々がいて、その人々のために汗を流した日本人がいるというのはやはり誇りに思えます。
法律や憲法など難しい問題が絡むので、軽々しく口をきけないような雰囲気がありますが、活動は評価されていたというのは確かな事実なんじゃないかなと思います。

そのことは純粋に評価してあげていいんじゃないですかね。