プロレスラーの高山善廣さんが3月22日の「今夜解禁!ザ・因縁」で特集されるようですね。
高山善廣さんといえば、プロレスラーとしてだけでなく、PRIDEのリングで活躍するなど総合格闘技やUFCでもその名前を轟かせた方です。
ですがプロレス中の事故で頚椎を損傷してしまい、現在はリハビリの毎日を送っています。
現在の病状や復帰の目処などとても気になりますが、事故から1年以上が経過しており、どの程度回復しているのでしょうか?
ドン・フライとの壮絶な殴り合いがやっぱりやばかったんじゃないのかとか当時の死闘を思い出すとゾッとしてしまいますが、あの試合で男を上げたのは間違いなく、ドン・フライのほうではなく、高山善廣さんの方だったと個人的には思っています。
そんな高山善廣さんの現在やリハビリや復帰をサポートするための寄付を募っているようなのでその情報についてまとめてみました。
早速行ってみましょう。
Contents(目次)
高山善廣さんのプロフィール
本名 高山 善廣
身長 196cm
体重 125kg
誕生日 1966年9月19日(52歳)
出身地 東京都墨田区
所属 高山堂
スポーツ歴 ラグビー・アメリカンフットボール
デビュー 1992年6月28日
高山善廣さんは1992年にプロレスデビューしています。
実はそれ以前にプロレスの門を叩いていたんです。
大学生のときに、前田日明さんが率いるUWFの入団テストを受けて、入団しているんです。
ですが、1ヶ月足らずで逃げ出してしまったそうです。
ラグビー時代の怪我があったこともあったのですが、UWFの練習が鬼のように厳しくて逃げ出してしまったというのが本当のところのようです。
前田日明さんがふらっとやってきて
「お前ら、良いと言うまでスクワットやれ」
といって、スクワットをやらせるそうなのですが、その数時間後前田日明さんがやってきて、
「なんだ、お前らまだやってたのか」
ということもあったんだとか。。。鬼か。。。
ですが、その後UWFが脚光を浴びます。
当時はプロレス=リアルファイトじゃない、本当の戦いが見たい!!というようなムーブメントが起きていて、そのときリアルファイトをうたったのがUWFでした。
UWFの人気は格闘技ファンの中でぐんぐん高まっていきます。
そして高山善廣さんもやっぱりUWFでやり直したいと思ったそうです。
大学卒業後、フジサンケイグループで営業マンをやっていたそうですが、プロレスラーの夢を捨てられず悩んでいたところ、UWF時代の先輩に声を掛けられ旗揚げ間も無いUWFインターナショナルに再入門することになったんです。
そしてついに1992年6月、金原弘光戦でデビューをしました。
金原弘光さんもその後総合格闘技にも参戦していましたね。
二人共その後のキャリアがすごい!
ちなみにこのUWFインターナショナルは高田延彦さんが主催ですね。
Uとつく団体がこのあたりでいろいろあったのでややこしいのですが、わかりやすく整理すると
前田日明=>高田延彦=>田村潔司
という人たちがUWFのDNAを受け継ぎながらそれぞれ団体を作っていったと覚えておいてください(笑)
田村潔司さんは主催である高田延彦さんに本当のガチファイトをしようと挑戦を叫ぶも、それが叶わず、飛び出してしまう。
そしてUWFは団体がなくなって、田村潔司さんが独自の団体を作るという流れがありました。
その後、高田延彦さんを慕う桜庭和志vs田村潔司という因縁の対決がPRIDEなどで期待されたり、高田延彦の引退試合が田村潔司だったという経緯があったわけです。
そんなUWFの歴史に、高山善廣さんも登場しています。
高山善廣さんはもともと前田日明さんのUWFに入門するも逃げ出し、高田延彦さんのUWFに再入門したんですね。
そしてUWFでプロレスデビューをしたと。。。なかなか難しいですね。
全日本プロレスに参戦
UWFインターナショナルがなくなったあとは、高山善廣さんは全日本プロレスに参戦します。
1997年、全日本プロレスへ参戦。
その頃はフリーランスのプロレスラーとして活躍していましたが、その後正式に全日本の所属になります。
そしてついにあの伝説のタッグチームが誕生します。
それが「NO FEAR」です!
NO FEARは大森隆男さんとのコンビで、向かう所敵なし、世界タッグ王座とアジアタッグ王座を同時制覇します。
このNO FEARはめちゃくちゃ強いコンビで人気もすごかったんですよね。
その後、三沢光晴さんが全日本プロレスを飛び出して、プロレスリング・ノアを作りますがその旗揚げに高山善廣さんも参戦しています。
UWF=>全日本プロレス=>プロレスリング・ノア
という流れも抑えておきましょう(テストにはでませんw)
PRIDEに参戦
その後、また高山善廣さんはフリーランスのプロレスラーとなり、様々な所属団体のイベントに参戦するようになります。
そのひとつがPRIDEだったんです。
ドン・フライとの名勝負となった戦いは2001年6月23日、PRIDE.21でした。
実はこの勝負は本当はドン・フライとマーク・コールマンが対戦する予定だったのですが、マーク・コールマンが怪我をして試合に出られなくなってしまったんです。
そして白羽の矢が立ったのが当時フリーランスのプロレスラーとしてどのイベントにも参戦可能だった高山善廣さんだったんです。
なんと試合の10日前だったそうですよ。
そしてこれがまさかのPRIDEを象徴するようなガチのリアルファイト、PRIDEの代名詞ともなった名試合を生み出したのです。
これは日本だけではなく、世界中のファンが驚き、歓声をあげ、これこそ総合格闘技だと称賛した戦いでした。
二人共相手の首をつかみただひたすら殴り続けるという、こんな試合が過去にあったのかと。
この試合で高山善廣さんの顔面はかなりボコボコになり、試合前もかなりいかつい顔だったのですが、さらに磨きがかかってしまいましたよね。
そしてなんといってもプロレスファンならベストバウトとあげる方もいると思いますが、三沢光晴選手との復帰戦です。