日曜日放送の「アスリートの魂」にリオパラリンピックで自身初の
メダルに挑戦する鈴木徹選手が特集されます。
義足の走り高跳び選手として、今大会でも注目されている選手
の一人ですが何でも2メートルを超える義足ジャンパーは
世界でも屈指の選手とも言われ普段からのトレーニング法や
飽くなき追及心は目を疑うものあります。
36歳にして、今もなを進化しつづけるその精神力は
並み大抵のものではありません。
今回は、その鈴木徹選手のとんでもない日常に
迫ってみたいと思います。
それではさっそくピックアップして行きましょう!
目次(コンテンツ)↓↓
1、鈴木徹選手のWIKIプロフィールと大学は? ページ1
2、鈴木選手を襲った事故とは? ページ1
3、講演会もやっているの? ページ2
4、結婚や嫁と子供は? ページ2
5、最後に ページ2
鈴木徹選手のWIKIプロフィールと大学は?
- 本名 鈴木徹(すずき とおる)
- 生まれ 1980年5月4日(36歳)
- 出身 山梨県
- A型
- 身長 179cm
- 体重 63キロ
駿台甲府高等学校から筑波大学に進学した鈴木選手は
SMBC日興証券に入社し、IPC陸上競技クラスで選手活動
を始めます。
日本人初の義足での走り高跳び選手として注目され、
2000年のシドニー五輪から2012年のロンドン大会
まで4大会連続での出場を果たしており、その実力の高さは
世界でも屈指と言います。
圧巻だったのは、日本国内ではもちろんですがアジア
新記録を打ち立て義足選手では世界に一人しかいなかった
2メートルの大台を見事飛び、
数々の実績を作り上げてきました。
このことから、2006年には「日本障がい者スポーツ
協会会長表彰特別賞」を受賞し、北京パラリンピックでは
日本選手団の旗手を務めあげその存在感を発揮しました。
「義足に血が通うまで義足を知り尽くし、隅々まで神経を通わせる。それでこそ最高のジャンプが生まれる」 #鈴木徹 (36)の魂だ。足で2mを跳ぶジャンパーは世界でも数人。自らの集大成としてリオでのメダルに挑む。【語り】山本耕史 https://t.co/AF1G3z8EFv
— NHKドキュメンタリー (@nhk_docudocu) 2016年9月2日
鈴木選手を襲った事故とは?
元々高校時代にハンドボールをやっていたそうで、陸上競技には
あまり興味がなかったそうな鈴木選手ですが、ハンドボールの
実力もかなりのものだったと言いすでに軽く全国レベルには
達していたそうですね(^_^;)
しかしながら、高校卒業前の時に自動車事故に遭い
右足の膝下を切断しなければいけない大事故に遭遇してしまいます。
これをきっかけに、長期的なリハビリを余儀なくされ
リハビリテーションだった東京身体障がい者福祉センターで
義足装具のスペシャリストである臼井二実男氏と出会い
義足を使ったスポーツとして走高跳を始めたようですね。
この自動車事故は鈴木選手自らが引き起こして
しまったらしく、事故当初自分の片足がなくなるなんて
まったくもって想像していなかったでしょうし
それを知ったときは、相当ショックだったでしょうね。
当時のコメントがそれを物語っていますね↓↓
僕は駿台甲府高校時代、ハンドボールで国体3位という成績を残したですが、卒業前に自らが起こした自動車事故で右足を失いました。右足を切断した僕はスポーツできる義足を探し求めていて、義足でのハンドボール会復帰を願っていました。そんな時、リハビリのため訪れた東京身体障害者福祉センターで日本の競技用義足の第一人者である義肢装具士の臼井二美男と出会い、多摩障害者スポーツセンターのスタッフに誘われたことがきっかけで走り高跳びを始めました。
と熱く語っていましたね。
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