元プロ野球選手の池山隆寛さんが有吉反省会に出演されるそうです。

有吉反省会というと、懺悔をしたい人が出てきて告白をするという内容の番組ですが、毎回懺悔するネタがしょうもないのが多いですが、この人だれ?という人や、この人いまこんななんだという感じで新しいタレント発掘や懐かしのタレントに会えるという趣旨の番組のような感じですよね。

池山隆寛さんも若い人は誰?と思うかもしれませんが、40代、50代の野球ファンなら知らない人はいないというくらいのスター選手だったんですよ。
当時はヤクルトスワローズの黄金期で、そのクリーンナップを任せれていたくらいのすごい人なんです。

そしてそのプレイスタイルは常に全力でのフルスイング!そして着いたあだ名がブンブン丸です。
三振かホームランかというその野球スタイルに魅了された人も多いですよね。

そんな池山隆寛さんがなぜ有吉反省会にと思いますが、今現在はいったい何をされているんだろうと気になったので調べてみました。
結婚された妻や子供の情報も調べています。
また伝説となっている引退試合についてまとめてみました。

 

早速行ってみましょう。

池山隆寛のプロフィール


出典:https://jingu17.exblog.jp/28648588/

名前 池山隆寛(いけやまたかひろ)
国籍 日本
出身地 兵庫県尼崎市
生年月日 1965年12月17日(53歳)
身長 183 cm
体重 75 kg
投球・打席 右投右打
ポジション 遊撃手、三塁手
プロ入り 1983年 ドラフト2位
初出場 1984年8月9日
最終出場 2002年10月17日

池山隆寛さんは兵庫県尼崎市出身です。
尼崎というとダウンタウンの二人が出身だったような、、、たしかあんまり柄の良い場所ではない感じですよね。

高校も尼崎市立尼崎高等学校に入学し、3年生のときに甲子園に出場します。
甲子園では3回戦で敗退。

で、その年のドラフト会議で2位指名でヤクルトスワローズに入団。

そして2002年まで生涯ヤクルトスワローズで現役生活にピリオドをうちました。

現役時代は、ヤクルトスワローズの黄金期を支えるメンバーの一人として活躍しています。

1988〜1992年まで5年連続で30本塁打を記録。

プロ野球での数々の表彰

19年間のプロ野球生活で、池山隆寛さんは数々の賞を受賞しています。

ベストナイン:5回
(遊撃手部門:1988年 – 1990年、1992年、1993年)

ゴールデングラブ賞:1回
(遊撃手部門:1992年)

月間MVP:1回
(野手部門:1998年6月)

優秀JCB・MEP賞:2回
(1989年、1990年)

日本シリーズ優秀選手賞:2回
(1995年、1997年)

セ・リーグ・スター大賞:1回
(1997年)

また池山隆寛さんが入団した年から退団までのヤクルトスワローズの成績はこんな感じです。

1983年 6位
1984年 5位
1985年 6位
1986年 6位
1987年 4位
1988年 5位
1989年 4位
1990年 5位
1991年 3位
1992年 1位
1993年 1位日本一
1994年 4位
1995年 1位日本一
1996年 4位
1997年 1位日本一
1998年 4位
1999年 4位
2000年 4位
2001年 1位日本一
2002年 2位

これ、すごい記録ですね。
現役生活でリーグ優勝5回。日本一になったのが4回ですよ。

池山隆寛さんの現役生活はかなり良い感じですね。
ただ4位もめちゃくちゃ多いですが。。。

年俸もすごいですよ。
1994年から1997年は1億5000万円ももらっていたんです。

交友関係も豪華です。
野球会や芸能界で活躍している同僚がたくさんいます。
中でも広澤克実選手は選手時代から苦楽をともにした仲間で、引退試合にも駆けつけています。

またいまはバラエティで大活躍の長嶋一茂さんも1987年のドラフトでヤクルトスワローズに入団していますので、池山隆寛さんは大先輩にあたるわけです。
さぞかし面白いネタをたくさん持っているんじゃないかと思いますね。

その他、古田敦也さん、石井一久さんなんかも同僚です。
現在日本ハムファイターズの監督の栗山英樹さんも同僚になりますね。

ヤクルトスワローズの黄金期だけあって、スター選手だらけだったんですよね。

池山隆寛さんの引退後

池山隆寛さんは引退後はこんな感じで解説者や指導者として活躍しています。

2003年〜2005年 フジテレビ・ニッポン放送の野球解説者およびサンケイスポーツの野球評論家
2006年〜2009年 東北楽天ゴールデンイーグルス一軍打撃コーチ
2010年 デイリースポーツの評論家
2011年〜2012年 ヤクルト二軍打撃コーチ
2013年 ヤクルト一軍打撃コーチ
2014年 ヤクルト二軍打撃コーチ
2015年 ヤクルト二軍野手総合コーチ(10月まで)
2015年〜2016年 楽天一軍打撃コーチ
2017年 楽天一軍チーフコーチ
2018年 楽天二軍監督
2019年 10月3日、同日付でヤクルトの二軍監督に就任

2018年のオフに楽天から契約を延長しないという話をうけて、デイリースポーツの解説者をつとめていましたが、現在は古巣ヤクルトスワローズの二軍監督に就任しています。

一軍監督は高津臣吾!!

往年のヤクルトスワローズのスター選手が1軍2軍監督を務めるわけです。

しかし現役時代ぶんぶん丸というあだ名でしたが、ちゃんと打撃コーチを歴任していて驚きですね。

感動の引退試合

ブンブン丸という渾名で親しまれた池山隆寛さんですが、2002年に足の故障から引退を決断。

その引退試合が球史に残る名引退試合と名高い試合なんです。

野球ファンはみなその勇姿に涙した伝説の試合はこんな内容でした。

長く厳しい現役生活で傷ついたベテラン選手が、力を落としながらも、心意気だけで自らの野球人としての哲学を体現してしまう引退試合も感動を誘う。

 2002年10月17日、ヤクルト一筋19年の現役生活、最後の試合を迎えた池山隆寛は右足の故障を抱えながらも3番・遊撃手としてグラウンドへ。久々のフル出場に右足は悲鳴を上げ、全力疾走もままならない。

 1点のビハインドで延長10回裏、「池山にもう1打席回そう」と1番・飯田哲也が1死からセーフティーバントで出塁、2番・稲葉篤紀がバントで送り、一打同点、本塁打が出れば逆転サヨナラ、という場面をお膳立てする。

 1球目、左足を高く上げ思い切り踏み込むも空振り。2球目、さらに高く足を上げ再びフルスイング。痛めている右の軸足ではバランスをとりきれず、ズルリとすべり倒れそうになる。3球目、池山はそれでも向かっていく。152キロのストレートに、「ボールを叩くこと」それだけにすべてをぶつけた魂のフルスイング! バットは空を切ったが、それは誰がなんと言おうと“ブンブン丸”の豪快なスイングそのものだった。

出典:https://news.goo.ne.jp/article/yakyutaro/sports/yakyutaro-20141209174930180.html

動画もありました。

これ、泣けますよ。ぜひ動画をみてほしい!

飯田のセーフティバントからの1塁へのヘッドスライディング!

そして次の打者の稲葉(現在の日本代表監督)は送りバント。でも1塁にヘッドスライディング!!

チームのみなが池山隆寛さんの最後の打席をなんとか良いものにしようと必死になって盛り上げる姿。

最後の打席。

痛む足をかばいもせず、いつもの大きく足をあげるスイング!

ピッチャーももうまっすぐのストレートしか投げてこない。

1球目、空振り、2球目、空振り。。。そして最後の1球、現役生活最後の1球。。。

もうね、これは何度見ても胸が熱くなりますね。

結婚した妻と子供は

池山隆寛さんは1992年の現役時代に結婚しています。

お相手は元モデルのゆりかさん。旧姓は真田という名前でした。

元モデルだけあって、美人ですよね。

お子さんは3人と子宝に恵まれています。

長男の颯人(はやと)さん
次男の拳聖(けんせい)さん
長女の愛莉(あいり)さん

の3人ですね。

颯人さんはもう25歳くらいで、次男の拳聖さんも24歳くらい、長女の愛莉さんも22歳くらいとみなもう社会人ですかね。

颯人さんは浦和学院から東京国際大学に進学し野球をされていたそうですが、プロの道には進まず、次男の拳聖さんも秀明英光高等学校から駿河台大学へと進学していますが、こちらも野球の道は選ばなかったようです。

最後に

野球ファンに愛され、惜しまれつつ引退した池山隆寛さん。

そしてその引退試合がまた語り継がれる引退試合になったことで、球史に名を残したと言ってもいいと思います。

チームメイトが最後の打席を回そうとしたエピソードは本当に泣けますよ。

フルスイングというと最近だとソフトバンクの柳田選手なんかもすごいですが、元祖はやはり池山隆寛さん。

そんな池山隆寛さんが一体何を告白し禊をおこなうのか、有吉反省会気になりますね。

最後までご覧いただき本当にありがとうございました。

その他の気になる関連記事は下をスクロールしてね!