タレントの大島由加里さんが3月15日の爆報!THE フライデーで紹介されるそうです。

大島由加里さんは別名シンシア・ラスターさんとも言います。
実は80年代に活躍したアクション女優なのですが、名前からすると外国の方のようですが実は日本人で、本名は津村ゆかりさんと言います。当初は日本で活躍していたのですが、ひょんなことから香港映画にも出演し、大人気となったという経歴があります。
津村ゆかりさんがどうしてアクション女優になり、どうしてシンシア・ラスターという芸名で活動するようになったのか、気になったので調べてみました。

 

早速行ってみましょう。

大島由加利さんのプロフィール


出典:https://twitter.com/luster_group

本名 津村ゆかり
別名義 日本芸名:大島ゆかり
香港芸名:大島由加利
生年月日 1963年12月31日(55歳)
出生地 福岡県福岡市西区
職業 アクション女優(自らはスタント女優と呼称)、アクションコーディネイター
ジャンル テレビ、映画
活動期間 1982年 – 現在

シンシア・ラスターさんですが、本名は津村ゆかりさんと言います。

もともとは体育教師になる夢をもって、日本体育大学に進学したそうですが、当時はジャッキーチェン、ユンピョウ、サモ・ハン・キンポーなどの香港アクション映画が大ブームで、津村ゆかりさんもユンピョウの「ヤングマスター 師弟出馬」を観て、アクション俳優に憧れるようになったそうです。

そして当時バイトをしていた喫茶店の常連客の紹介でジャパンアクションクラブ、通常JACのメンバーになれたそうです。

JACといえば、千葉真一さんが創設したアクション俳優の養成所のようなところですが、真田広之さんがそのメンバーとしては有名ですよね。

そのJACの一員になった津村さん。
芸名は大島ゆかりという名前にしたそうです。

この大島という名字はこのときJACを紹介してくれた常連さんの名字からとったそうですよ。

そこでスタントマンとしての訓練を受けて、スーツアクターとして宇宙刑事ギャバンでデビューをしたそうです。

その後、宇宙刑事ギャバンのようなヒーロー物、戦隊モノなどに出演するようになります。

wikipediaをチェックしてみるとこんな感じで、ヒーロー物に数多く出演していますね。

宇宙刑事ギャバン(1982年、テレビ朝日)- スーツアクター
科学戦隊ダイナマン(1983年、テレビ朝日) – アクション吹き替え、第28話
超電子バイオマン(1984年、テレビ朝日) – ファラキャット 役
宇宙刑事シャイダー(1984年、テレビ朝日) – 富子 役

出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%82%A2%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC

宇宙刑事シリーズに出演していたんですね。

ファラキャットは当時はとても人気があったそうです。
アクションもキレキレだったそうですよ。

ユンピョウの映画に出演

その後、JACを退団するのですが、もともとユンピョウに憧れていたということもあり、香港映画に出たい!と思っていたそうです。

そしてついにチャンスを掴みます。

ユン・ピョウ主演の『冒険活劇 上海エクスプレス』の出演オーディションに合格をしたんですね。

このとき、いかに自分が香港映画を愛しているか、そしてユンピョウが大好きかを手紙にして映画のプロデューサーに送ったんだそうです。

それがかなりの高評価で、彼女の夢を叶えてあげよう!ということになり、映画の出演が決まったんだそうですよ。

そしてこの映画の出演が転機となったそうです。

大島ゆかりさんのアクションがかなり評判がよく香港映画の関係者の目に止まったようですね。

その結果、活動拠点を香港に移して本格的に香港映画に出演をするようになります。

しかも当時所属した事務所がなんとジャッキーチェンの事務所なんです。

これってめちゃくちゃすごいことですよね。
アイドル業界のジャニーズ事務所みたいなところに、いきなりやってきた女優が所属することになったわけなのです。

香港では芸名は大島ゆかりではなく、大島由加利という名前で活動をしています。
香港には「ひらがな」がないですからね。
大島由加利さんは香港でも大人気となり「女ドラゴン」というあだ名までついていたそうですよ。

フィリピンでも活動

その後、大島ゆかりさんは香港からフィリピンに活動拠点を移します。

きっかけは香港の中国返還のタイミングだったそうです。
1997年に香港からフィリピンに活動拠点を移しています。

当時は中国政府がどのように香港を統治するのかわからない不安が多くあったのかもしれないですね。
そしてフィリピンに活動拠点を移した大島ゆかりさん。

フィリピンでも多くの映画に出演しますが、このとき芸名がなんとシンシア・ラスターに変わっているんです。

このシンシア・ラスターという名前はなんと勝手につけられた名前だったそうですよ。
自分の名前を勝手に変えられてしまったというのはすごい話ですね。

しかしながらこのフィリピンでも大人気となり、国民的なスターの地位まで上り詰めたそうですよ。

シンシア・ラスターさんすごいですね。
というかもうどの名前で呼んで良いのかわからないですが。。。

津村ゆかり=>大島ゆかり=>大島由加利=>シンシア・ラスター

シンシア・ラスターという名前は一体どういういみなんでしょうね。

津村ゆかりが大島ゆかりになったのはなんとなく意味がわかるんですけどね。

でも香港とフィリピンであわせて80本以上の映画に出演するほどの活躍をした大島ゆかりさん。

映画のギャラは一本600万ほどだったそうですが、あわせて1億円以上稼いだそうです。

フィリピンから帰国

フィリピンで国民的なスターの座まで上り詰めた大島ゆかりさんですが、その後、撮影現場で大怪我をしてしまいます。

それがきっかけでアクションスターの座を断念し帰国することになりました。

怪我をしたのは1998年、中国の深センでの撮影だったそうですよ。
左膝の靭帯を断裂してしまったそうです。

そして2002年に帰国して出術をしますが、アクションを再度おこなえるまでには回復できなかったそうです。

その後、日本に留まり、アクション俳優の教育など後進を育てる道に進むようになります。

結婚して子供も

大島ゆかりさんは現在は結婚してお子さんもいらっしゃいます。

日本に帰国したときに、友人の紹介で現在の旦那さんと知り合ったそうです。

旦那さんは5歳年下の建材メーカーに務めるサラリーマンだそうですよ。

お子さんは44歳のときに女の子が産まれています。

女の子の名前は「李菜」さんと言います。

李菜さんはブルース・リーの中国名「李小龍」から一文字もらってつけたそうです。

さすが女ドラゴンですね。

最後に

大島ゆかりさんと呼べば良いのか大島由加利と呼べばよいのか、それともシンシア・ラスターさんと呼べばよいのかわからないですが、現在はアクション女優の道は断念し、後進を育てることを仕事にしているそうです。

実は2004年には庵野秀明監督作品『キューティーハニー』で武術指導も担当するというような活動もしています。

それだけではなく、福岡発アジアをテーマにLAS(ラスターアクションスクール)を設立し、プロを目指すアクション俳優を育成したり、総合学園ヒューマンアカデミー福岡校で特別顧問を務めたりもしています。

またアクション俳優を養成する全日制のアクションスクール「エンターテインメントラボ Luster Pro.研修コース」も開校したりと、アクションというジャンルにいまでも真剣に取り組んでいるというご様子です。

 
最後までご覧いただき本当にありがとうございました。

その他の気になる関連記事は下をスクロールしてね!