月曜日放送の「世界まる見え!テレビ特捜部」にイランアメリカ大使館人質事件
が特集されます。
これをモデルにした映画「アルゴ」をご存知の人はどれぐらい
いるでしょうか?
アルマゲドンでお馴染みのハリウッドスターベン・アフレック
が主演を演じる映画で、TUTAYAに新作として出た時に
レンタルして見ましたが結構奥が深く面白かった記憶が
あります(笑)
事件の真相はイラン革命が原因で起こったとされており
イラン人の学生らがアメリカ大使館を取り巻き
占拠すると言う前代未聞の事件がイランの首都テヘランで
起きました。
今回はそんな事件の経歴やその後と現在はどうなっているのか
と言う事を検証していきたいと思います。
それでは今回もさっそくピックアップして行きましょう!
目次(コンテンツ)↓↓
1、イランアメリカ大使館人質事件とは? ページ1
2、アメリカによる救出作戦はいかに!? ページ1
3、事件のその後や現在は!? ページ2
4、映画「アルゴ」がヤバイ! ページ2
5、最後に ページ2
イランアメリカ大使館人質事件とは?
1979年にテヘランで発生した学生によるアメリカ大使館占拠並びに
人質事件であります。
イラン革命勃発後に起きたこの事件は、革命に仲介しよう
としたアメリカ大使館が同国の支援援助を受けていた王朝
が民主化を目論む市民により転覆したため、モハンマド・レザー・パフラヴィー
国王とその家族、側近と共にアメリカに亡命しました。
当時のアメリカ大統領であるジミーカーターは、当初パフラヴィー国王の
入国を拒否していましたが、最終的に「人道的見地」との
理由で入国を許可し始めてアメリカにイランの国王が
舞い降りた瞬間でもありました。
ただ、これに対しイラン国内ではアメリカを敵視していた
パフラヴィー国王をアメリカが入国させ受け入れたことにより
イスラム系の学生たちが猛反発し、最初はデモを行っていたが
次第に行動はエスカレートしていき、しまいにはアメリカ大使館の
塀をよじ登っていき館内を占拠してしまいました。
これに対し、建物内で大暴れする学生たちは外交官や
その家族並びに取り締まりを行っていたアメリカ海兵隊らの
計52人を人質にとり、パフラヴィー国王の身柄引き渡しを
アメリカに要求します。
海兵隊や地元の警察たちは、学生達に対する反撃や武器使用が
認められていなかったため一切の静止活動が出来ない状態
だったそうで、余裕で大使館を占拠できた原因にもなった
とそうです。
アメリカによる救出作戦はいかに!?
翌年の1980年にアメリカは大使館に取り残されている
人質を救出するべく「鷹の爪=イーグルクロ―」作戦を決行
します。
当初作戦は完璧だと計画されており、ペルシャ湾から展開していた
空母並びに駆逐艦からデルタフォースがイラン領内に侵入し
救出作戦を決行。
その内容は当時テレビ中継されるほどの緊張間があった
とされており、最新の情報が世界中にピンポイントで流れて
いました。
8機のヘリと6機の輸送機が現場へと向かい、テヘランの砂漠で
落ち合うことになっていたが、3機のヘリと輸送機が砂漠上で接触事故
を起こし炎上すると言うまったくの想定外が起き作戦はあえなく
失敗に終わると言う無残な結果になってしまいます。
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