木曜日放送の「アウトデラックス」に
日本人エメラルド王として活躍した早
田英志さんが登場します。
20代後半に南米コロンビアへと渡り
、宝石の原石となるエメラルド業に身
を通し30年近く業界人としての地位
を築いてきたんだとか。
その結果、年収50億もの資産を築き
地元コロンビアでは一目置かれる存在
にまで成り上がり、自身のオフィスや
問屋まで事業を拡大し業界でもかなり
有名になったそうですね。
そんな早田英志さんは尋中満帆の人生
を歩んで来たかに見えましたがあるこ
とを境に年収50億もの稼ぎが一変し
、今現在は一文無しなんだとか(笑)
そんな早田さんに一体何があったんで
しょうか?
そして、一文無しになった壮絶人生と
はどんなものなのか?を徹底検証して
いきたいと思います。
それでは今回もさっそくピックアップ
して行きたい。
目次(コンテンツ)↓↓
- 早田英志さんのWIKIプロフィールと経歴
- 年収50億と倒産がヤバすぎ!
- 早田英志さんの今現在は?
- 映画とは?
- 最後に
Contents(目次)
早田英志さんのWIKIプロフィールと経歴
- 本名 早田英志(はやた えいし)
- 生まれ 1940年10月(76歳)
- 出身 埼玉県
- 学歴 東京教育大学農村経済学部 卒業
大学卒業後は、ノースウエスト航空と
パンアメリカン航空のメカニックとし
て就職し数年間勤務後会社の組織的な
方針に嫌気がさしのちに退社します。
その後、30歳を目前に控えた早田さ
んはコスタリカの国立大学医学部に留
学し、ラテンという物に興味を持ち始
め地元のレストランや、不動産、コー
ヒーなどの事業を始め経営に携わるよ
うになりそこで初めてエメラルドの存
在を知るようになります。
そんな中早田さんは、いち早くエメラ
ルドが商売になると言う事を確信しそ
の可能性にかけ、1974年の30歳
を過ぎたあたりから本格的にエメラル
ド業にのめり混んでいきます。
エメラルドを売買する人の事を、「エス
メラルデーロ」と呼ばれ
当時のコロンビアは、「緑の戦争」と呼
ばれるエメラルドをめぐる抗争が盛んな
時代でもあり腰には銃を忍ばせテンガロ
ンハットを被ったマフィアみたいな奴ら
がゴロゴロしていたと早田さんは語って
います。
この抗争で少なくとも5000人もの尊
い命が犠牲になり、ゲリラや麻薬組織な
どが絡みコロンビア自体が危険地帯だっ
たそうですね。
これについて早田さんは
「まるでアメリカ開拓時代の西部劇みたいだと思った。スリル満点の世界。そこに自己とビジネス、両面の可能性を見たわけです。僕には先進国の複雑に組織化された社会はつまらなかった。オリジナルな世界で自然な生き方をするのが性にあっていると思ったんです」
とコメントしており、その生き方がハンパ
ないことが分かりますね(^_^;)
年収50億と倒産がヤバすぎ!
元々、早田さんは学生時代にかなりワルを
やっていたらしく停学処分を3回も食らう
ほど喧嘩に明け暮れた毎日を送っていたん
だそうですね(^_^;)
いわゆる「番長」だったらしく、
昔からその持ち前の根性と精神論でコロン
ビアでもやっていけたと当時の状況を語っ
てくれています。
ただ、事業を初めて最初の頃は根性論や
精神論だけでは通用しなかったそうで現
地のコロンビア人ともかなり喧嘩になり
命の危険すらあったと言います。
そんな中でも「番長」としての精神論だ
けは忘れなかったそうでコロンビア人と
も喧嘩はするが、ハートだけはつながっ
ていたそうで3人、5人と見る見るうち
に人材が集まって行きその後エメラルド
の輸出や問屋をやろうと決め、ほかの同
業者につぶされないように基盤を作りそ
の地位を得るまでに30年と言う月日が
かかったそうですね(^_^;)
そして、コロンビアのエメラルド鉱山の
周辺に住居を構えバイヤーとして事業拡
大していき、業界のライバルたちにも徹
底して出し抜く姿勢を見せ、事業が圧倒
的な利益を生み出し年商50億のエメラ
ルド王として完全なる地位を確立したそ
うですね。
なぜ倒産!?
年商50億もの利益を叩きだした早田さ
んは、その後も順調に事業のほうを展開
していったかに思われましたが時代の波
に押しつぶされてしまう格好になり、2
008年のリーマン・ショックによる暴
落が大打撃を受けてしまい、日本へのエ
メラルド輸出が大幅に減少し大赤字を計
上してしまいます。
その後も、1000人以上もの警備会社
の経営をしていた早田さんは取引先や顧
客からの支払いが待っても待っても支払
れないことから従業員に払う賃金がショ
ートしてしまい倒産してしまったと言う
ことですね。
(50億もの資産を持っている人でもあ
っけなく潰れてしまうものなんですね。
お金ってホント怖いですよね)(^_^;)
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