3月8日放送の「じっくり聞いタロウ ~スター近況(秘)報告~」で元プロ野球選手のG.G.佐藤さんが出演されます。

G.G.佐藤さんというと野球が好きな方でなくても、思い出すくらい大人気だった選手です。西武ライオンズ時代はオールスターに選ばれ、年俸も1億円を超えていました。
そんなG.G.佐藤さんですが、ある出来事をきっかけに野球人生が大きく変わっていきます。

それが日本代表として出場した北京オリンピックの試合でのエラーです。
結果的に日本は金メダル候補と言われながら、金メダルどころか銅メダルも取れずに終わるのですが、その悲劇からG.G.佐藤さんの人生は大きく変わっていったようです。

そんなG.G.佐藤さんのそのオリンピックでの悲劇と現在をまとめてみました。

 

早速行ってみましょう。

目次(コンテンツ)↓↓

  1. G.G.佐藤さんのプロフィール<
  2. 北京オリンピックの悲劇
  3. 株式会社トラバースに入社する
  4. トラバースには元プロ野球選手がたくさんいる
  5. 大河ドラマにも出演
  6. 結婚は?子供はいるの?馴れ初めは?

G.G.佐藤さんのプロフィール


出典https://matome.naver.jp/

G.G.佐藤さんですが、2003年にドラフト7位で西武ライオンズに入団されています。
高校は、名門ですね、桐蔭学園の出身です。
その後法政大学に進みます。

本名 佐藤隆彦
国籍 日本
出身地 千葉県市川市
生年月日 1978年8月9日(39歳)
身長 184cm
体重 98 kg
投球・打席 右投右打
ポジション 外野手、一塁手
プロ入り 2003年 ドラフト7巡目
初出場 2004年3月30日
最終出場 2013年10月8日

G.G.佐藤という名前ですが、本名ではないです。
日本人離れした顔から、ハーフ?という話題も出てことがありますが、日本の方ですよね。

G.Gという愛称はどこから来たかというと、中学生時代に野村沙知代さんから、
「シャキッとしなさい、ジジイじゃないんだから」
と叱られたのがきっかけということです。

え、野村沙知代さん?

小学生からリトルリーグで野球を始めますが、なんと中学時代は野村沙知代さんがオーナーの「港東ムース」に在籍しています。

このときの練習が高校やプロ野球に比べても一番つらかったと話しているようで、どんだけ野村沙知代さんは厳しかったんだろうと思いますね。

このときにG.G.の愛称が産まれたんですね。

大学卒業後なんとアメリカに渡ります。
マイナーリーグ・フィラデルフィア・フィリーズ1Aに入団しているんですね。

2002年に帰国して、その後西武ライオンズの入団テストを受け、2003年ドラフトで7位指名されて見事プロ野球選手としてスタートを切ることになります。

ライオンズに入団する前に警備会社でアルバイトをしてジャニーズ事務所のコンサートの警備の仕事などもこなしていたようです。

高校生から注目されて一気にプロになった清宮選手なんかと比べると、相当の苦労人ですね。
そのときの契約金は300万円、年俸は700万円だと言われています。

2004年から一軍での出場機会を得ます。このときから登録名称がG.G.佐藤でした。
3番・指名打者でスタメン出場を得るなど、2004年は上々のスタートだったと言えます。

2005年は少し調子を落としますが、2006年には開幕スタメンを勝ち取り、打率も4割を超えるスタートを切ります。

しかしその後調子をまた落として2軍落ち。

2007年には出だしまた調子をあげてきます。そしてその年は1年を通してスタメンを守り、本塁打もリーグ5位の25本を打ちます。

そして、守備でもライトを守り、1回もエラーをせず、守備率10割という素晴らしい成績を残しているのです。

この年、エラーをしなかった選手は2名しかいず、そのうちのひとりだったのです。
お立ち台で「キモティー!」と叫び始めたのもこの年ですね。

2008年には、レギュラーとして安定した活躍をし、オールスターではセリーグ・パ・リーグを通して最高得票数を獲得してオールスターメンバーに選出されます。

その活躍もあって、北京オリンピックの日本代表として招集されることとなります。

北京オリンピックの悲劇

さてここからオリンピックの話に移ります。

当時バッティングも好調で、前年はエラーを一回もしなかったという守備の名手にどんな悲劇があったのでしょうか?

オリンピックでは日本代表は順調に勝ち進みます。

そして迎えた準決勝。相手は韓国です。
この試合、G.G.佐藤さんはいつものライトではなく、レフトのポジションを任されます。

まず4回の守備で1つ目の失策をしてしまいます。
このとき日本は2-0で勝っていました。
そこでレフト前に転がってきたボールをなんとトンネルしてしまうのです。

その後4-2と逆転されてしまい、8回にもレフトフライを落球してしまいます。
結果、日本は韓国に負けて金メダルを逃します。

「星野監督、田淵コーチ、山本コーチが怖くてフライが捕れなかった」とその後、G.G.佐藤さんは当時の心境を語っていました。

いままでライトを守っていて、レフトを守ったこと長かったそうなんですよね。

また緊急招集されたため、心身ともに準備ができていなかったとも言われています。

またこの2つのエラーが有ったので、もう自分の出番はないだろうと心が切れてしまっていたようです。
そのような状態で次のアメリカ戦で先発起用されることになります。

4-1とリードして迎えた三回、遊撃と左翼の間に落ちるフライに果敢にダッシュ。結果的にはショートに任せておけばよかったのですが、そのフライを落球してしまいます。

日本代表は逆転負けで、4位で五輪を終える結果となるのです。

この後、日本ではG.G.佐藤さんを戦犯扱いをし、かなりの酷い報道がありました。
当時佐藤さんは「死にたい」とメールを送るくらい追い込まれてしまったようです。

プロ野球の試合でも結果を残せず、後半は怪我をしてしまいます。

2009年はオリンピックのショック、怪我の影響でしょうか、前半戦はあまり活躍できませんでしたが、その後は復調してシーズンを終えます。2010年には不振にあえぎ、2011年に戦力外通告を受け対談をすることになります。

その後、イタリアのクラブチームに所属したり、日本に戻り富山のクラブチームに所属するなど、その後も野球を続けます。よっぽど野球が好きだったのですね。

2012年になると、今度はロッテに入団することが決まります。そこで2年間在籍し、2014年の10月に戦力外通告を受けて、現役を引退することになります。

引退後は、父親の会社である株式会社トラバースに就職します。

 

株式会社トラバースに入社する

この会社は住宅関係の会社で、住宅測量や地盤改良をおこなう事業をおこなっているようです。

その会社でいまではトップ営業マンとして活躍されているそうです。
http://www.travers.co.jp/
こちらの会社ですが、ホームページをみてびっくり。結構大きな会社ですね。

年間売上170億以上ですよ。

株式会社トラバース
所在地 本社〒272-0121 千葉県市川市末広2丁目4番10号
TEL.047-359-4111 FAX.047-359-4115
設立年月 昭和51年4月
資本金 1億円
社員数 正社員470人 全従業員1006人 (平成29年4月1日現在)
年間売上 173.4億円(平成28年度実績)

もともとお父さんがこのような大きな会社の社長さんだったということで、裕福な家庭の出だったのかもしれませんね。

いまではこの会社のトップ営業マンとして、CMにも出演されているようです。
仕事でも大いに「元プロ野球選手」という肩書を使っていると本人も言っていますね。

建築関係の方って、野球好きそうなイメージありますよね。
子供がいると聞くと、「今度練習見ましょうか?」とか言うそうですが、それ言われたら仕事出しちゃいますよね。

会社に転職が決まったときに、まだ若いし体力もあるから当然現場に配属かと思いきや、社長であるお父さんの判断は、営業への配属だったそうです。

実際、先日までプロ野球選手だった人が営業ってイメージが湧かないですよね。
プロとしてのプライドもありそうだし、スーツ着て営業できそうになさそうだなーと。

そもそも社会経験がないからビジネス上のしきたりも分かっていないのに営業って、相当大変ですよ。

でも本人曰く、野球の経験を活かして頑張っているそうです。
野球はそもそも失敗のスポーツ。3割成功すれば大打者。7割失敗してもよい。その代わり、その7割の失敗から学んで、次に活かしていく。そういう野球の考えが身についているので商談に失敗しても、そこから学べば良いという姿勢でチャレンジしたということです。

たしかにそうですよね。基本は野球もビジネスも一緒で失敗から何を学んでいくか。素晴らしいですね。

 

トラバースには元プロ野球選手がたくさんいる

そしてこのトラバースという会社は野球部もあります。
そのせいもあり、元プロ野球選手を積極採用しているそうです。

現在はこんなメンバーがいるそうです。
13名が入社し、3名退職、10人が在籍中ですね。
2015年
GG佐藤(元ロッテ)
星秀和(元西武)
尾崎匡哉(元日ハム)※退社
岩崎哲也(元西武)※退社
野球部外  西川純司(元西武)
2016年
梅田尚通(元西武)
林崎遼(元西武)
前川恭兵(元西武)
野球部外 松永浩典(元西武)  池ノ内亮介(元広島)※退社
2018年
大平成一(元日ハム)
田面巧二郎(元阪神)
土田瑞起(元巨人)

元ロッテ1名 元西武7名 元日ハム2名 元広島1名 元阪神1名 元巨人1

3名は途中で退職しているところをみると、誰もが再出発に成功しているわけではないということですね。

G.G.佐藤さんは営業マンへの転職が大成功しているので、みんなそうかというとそうでもないと、現実はやはり厳しいですね。

 

大河ドラマにも出演

実はG.G.佐藤さん、昨年大河ドラマに出演しています。
NHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」に山伏役で出演し、なんとセリフもしゃべっています。

茶屋のシーンで山伏の格好で登場し、
「うむ。美濃で戦になるのではないかと」
というセリフだったそうです。


出典https://matome.naver.jp/

ここはやはり「キモティーーー」って言わせたかったですけどね。

 

結婚は?子供はいるの?馴れ初めは?

プロ野球時代の2008年1月に交際していた一般女性の真由子さんと結婚をされています。奥様は元CAだそうです。

交際がスタートしたのは2006年、G.G.佐藤さんは、当時プロ3年目の28歳。

一方、真由子さんは、4つ年上の32歳で当時、日本航空(JAL)のCAをされていたそうです。

真由子さんは野球をあまり知らなかったのと、交際当時はまだG.G.佐藤さんも活躍していなかったので、真由子さんとしては付き合うかどうか悩んだようですね。

それにもめげず、G.G.佐藤さんは猛アプローチをしたそうです。そしてなんと初デートでいきなりプロポーズされたというのです。

真由子さんは30本ホームランを打ったら結婚しても良いと返事をしたのですが、その年、ホームランは25本。

でもG.G.佐藤さんの熱意が届き、無事ゴールインとなったようです。


出典:http://toyokeizai.net/articles/-/180677?page=1

出典:http://toyokeizai.net/articles/-/180677?page=2

その後、2009年4月に第一子となる長女を授かります。

 

最後に

2008年の北京オリンピックの悲劇でも奥様に「死にたい」というメールが届くなど、相当落ち込んでいたG.G.佐藤さんがその後も野球人生を続け、いまも営業マンとして活躍されている影で奥様の献身的な愛情があったのではないかと思いますね。

これからも活躍されることを期待したいですね。また会社の方も、これからもたくさんのプロ野球の再出発を支援していってあげてほしいなと思いました。

 

最後までご覧いただき本当にありがとうございました。

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